安倍内閣の無邪気な暴走が著しい
安倍首相「脅しに屈しない自由確保」=閣僚の靖国参拝で
http://jp.wsj.com/article/JJ12654974330373834182517348444972986615170.html
「閣僚がどんな脅かしにも屈しない自由を確保していくことは当然のことだ」という発言
安倍首相「侵略の定義定まっていない」 村山談話に絡み答弁
http://www.asahi.com/politics/update/0423/TKY201304230074.html
「侵略の定義定まっていない」 という発言
安倍自身の脳内妄想が内閣の暴走につながっている
当然ながら
前者の
閣僚の靖国参拝に中国、韓国ら近隣諸国が非難するのは
祀られているのは彼らからみたら加害者だから
非難するのはしごく当然で、非難を「脅し」という言語感覚を疑う
後者の
「侵略の定義定まっていない」 という発言だが
今まで自民党が言っていた自衛のための軍隊は持つこ
とができる、という憲法第9条解釈と矛盾するのだが?
ところで侵略の定義は国連で決議されている
侵略の定義に関する決議
http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/JGAres3314.html
その程度の基本知識すらなく
政治家をそれも首相を務めていることに
日本の政治状況の劣悪さが認められる
その挙句に
安倍内閣主導による改憲が
疑いすら持たれずに
改憲、護憲と国論を二分している
だが
そもそも
内閣には憲法改正権はない
拝啓 安倍晋三様 あなたが「改憲」に前のめりになるのは筋が違いませんか?
http://www.jicl.jp/kaiken/backnumber/20130415.html
少々長くなるが引用する
「第二は、あなたが首相として「改憲」をめざすとしていることと憲法との整合性の問題です。言うまで
もないことですが、内閣には憲法改正権はありません。憲法改正権は国民にあり、国民にのみ帰
属します。「国民の代表」にも憲法改正権はありません。文字どおり「国民にのみ」あるのです。そ
れは、憲法というものが、そもそも、「統治権に対する法的制限」を意図したものであり、「権力担当
者に対する国民からの指示・命令」としての意味をもつものだからです。内閣および各大臣、国会
および国会議員は、いずれも、憲法によって「制限される側」であり、国民から「指示・命令される
側」に立っているのです。「制限される側」、「指示・命令される側」が、その制限や指示・命令の内
容を自由に変えられるというのでは、制限も指示・命令もまったく無意味なものになります。だから、
内閣に憲法改正権がないのは当然のことであり、また、国会も、「国民の代表者」によって構成され
る「国民代表機関」であっても、憲法改正権そのものはもちえないのです。
ただ、憲法は、国会が「国民代表機関」であることにかんがみ、国会に憲法改正の発議権を委ねて
います。この、国会の発議権は、憲法改正権は国民にのみあるという観点からいえば、国会が憲
法改正を主導できるということを意味しません。国民の側から、具体的にここをこう改正すべきだと
いう声が上がり、それについて国会で議論せよという声が高まったときにはじめて、国会はその国
民の指示を受けて憲法改正原案をまとめ国民に提示する、というのが本来のあり方なのです。そう
ではなく、国会議員たちが「ここは自分たちにとって都合が悪いから変えたい」といって改憲発議を
するのは、本来筋違いなのです。国会議員が改憲に前のめりになるべきではないのです。まして、
憲法改正の発議権が委ねられているわけでもなく、なによりも政権担当者として統治権の中枢を担
う内閣が憲法改正を主導することは、絶対に避けられなければなりません。それは、政権の都合
のいいように憲法を変えることにつながりかねない行為であり、「統治権に対する法的制限」として
の憲法の意味を大きく損なうこととなるからです。その意味で、あなたが首相として「改憲」をめざす
というのは、筋が違うといわなければならないのです。」
内閣は憲法改正権はない
法案は提案できるが
憲法は法律ではない
このことの違いは知っておく必要がある
基本知識です
その基本知識も日本国民には共有されておらず
というより
共有されなくなったのは
長期自民党政権で長らく続いた「お任せ民主主義」の国民の姿勢にも問題がある
政治はお上がするもの
という意識は
確かに
小沢一郎?のようなプロフェショナルな政治家が乱立しているときには
うまくいっているように見えた。だが、その実態は官僚と政治家、支持母体らの利害調整でしかな
かった
その帰結が自公政権である
小沢一郎ウイキペディア 参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E
小沢のことはともかく
現在、安倍第1次政権以降、麻生、福田、民主党、そして安倍第2次内閣は
ことごとく
反小沢的なアマチュア内閣である
小泉はアマチュアを気取ったプロである
それはともかく
そのようなアマチュア内閣に
自民党長期政権に持っていた
政治家はお上がつくるものという考えでは
ますます内閣に暴走は過激さをますだけだ
逆に言えば
小沢一郎待望論はプロ政治家への
郷愁であり
まあ、仕事ができるやつがほしい、という企業おやじのような
願望でしかなく
それは
先ほど述べたが「その実態は官僚と政治家、支持母体らの利害調整でしかな
かった
その帰結が自公政権である」
ということは
安倍内閣の暴走を止めるには
国民主権の意識をもつことである
それは
憲法改正権は内閣にはない
国民にしかない
と宣言することだ
日本国憲法第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主
権の存する日本国民の総意に基く
明確に国民主権が書かれていることをお忘れなく
よろしくお願いします
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