2013年3月31日日曜日

在特会の桜井誠には高田誠として実名批判すべきだ

在特会の桜井誠には高田誠として実名批判すべきだ

なぜそう思ったのか

それは以下のサイトをみたからである

新宿区新大久保地域で行われる外国人排撃デモについて
http://www.mklo.org/public_html/mklo/html/archives/94.html


「新宿区新大久保地域で行われる外国人排撃デモについて、本日、宇都宮健児弁護士をはじめとする12人の弁護士(当事務所の神原元弁護士も名を連ねています)が、声明を発表し、東京都公安委員会へ申し入れを行いました。
 また、東京弁護士会会長に対して人権救済申立を行いました。
 内容は以下の通りです。」

その内容を読むと

「(1) 在特会とは、“在日特権”を許さないことを目的とする等と称して、2007年1月20日頃、桜井誠(本名:高田誠)を会長として設立された。」とある

東京弁護士会会長に対して人権救済申立をする公的文書だから

当然実名で書かなければならないのだが

僕は思ったのは

公的文書でなくても

桜井誠(高田誠)として実名批判すべきだとういうことである

桜井誠(高田誠)が成長したのは

まさに実名を隠し

匿名で活動してきたことにある

桜井誠(ウイキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E8%AA%A0_(%E6%B4%BB%E5%8B%95%E5%AE%B6)

(ウイキペディア)からもわかるように

当初はdoronpaというハンドルネームで始まり

doronpaの独り言というブログになっており

現在も存続している

http://ameblo.jp/doronpa01/

ただし本人顔写真はでている

顔写真がでていても

匿名で活動している以上

特定しづらい

リアルで桜井誠(高田誠)を顔写真でみて知って

名前がはっきりしない以上

声をかけにくいし

そのために桜井なのだが

あくまで「本人」をぼかすためではないか

とてもリアルで本名で言えないことを

匿名でしかも

ネットで行ない

それを増長させてきた

そもそも

在特会に

成長する以前のdoronpa時代に叩いておけばよいのであるが

法規制もないので

増長してきた

そもそも

桜井誠(高田誠)の差別言辞を成長させた原因として

「表現の自由」に対する誤解がある

ヘイト・スピーチもまた「表現の自由」と誤解されていないか

「表現の自由」というものはヘイト・スピーチのような暴力に

抗議することが「表現の自由」です

そういう認識が広く国民に共有されていれば

匿名の意見など消えてなくなったはずなんですよ

そして

現在、匿名の意見が百花繚乱です

桜井誠(高田誠)に続く

ということでしょう

であれば

匿名の無責任な「表現の自由」のような暴力には

桜井誠を徹底的に実名の

高田誠で

糾弾すべきです

高田誠はヘイト・スピーチ組織

在特会の責任者で

「公共の福祉」によって

高田誠及び在特会の活動は制限もしくは永久に撤廃される

それがヘイトスピーチで被害にあった在日朝鮮人たちへの人権保障です

当然ながら

外国人にも日本国憲法は人権は認めています

桜井誠は

高田誠として批判を浴び

法廷で裁かれるべきだ

それもまた東京(ヘイトスピーチ撤廃)裁判である

ちなみに桜井誠(高田誠)は在日朝鮮人に通名やめろと言っているが

桜井誠は匿名である

だから実名の高田誠を糾弾する

ということです


桜井誠「朝鮮人は通名をやめろ~」→左派の男「高田君もうやめなさいよ」→桜井誠キレる
http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/ab7e4f671a96d2ddbb8a7c3b21bd86b2



下記の動画は桜井誠(高田誠)が障害者に恫喝している動画です
追記
twitter.com/noiehoie/statu…
だそうです

よろしくお願いします
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2013年3月30日土曜日

森美術館の会田誠展示は見たくない人は 見なければいい という問題ではない

森美術館の会田誠展示は見たくない人は

見なければいい

という問題ではない。

そんなこといいだしたら

フジテレビに反対した

ネット右翼のデモも

フジテレビを見なければいいという

問題になり

抗議するな



なってしまう

まあ、なんでネット右翼がフジテレビに抗議したのか

僕にはよくわかりませんが

そもそも


日本は子どもの売買、子ども買春および子どもポルノグラフィーに関する子どもの権利条約の選択

議定書

http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig_pro.html


に批准している

その中で

第2条(c)「児童ポルノ」とは、現実の若しくは擬似のあからさまな性的な行為を行う児童のあらゆる

表現(手 段のいかんを問わない。)又は主として性的な目的のための児童の身体の性的な部位の

あらゆる表現をいう。


第3条

1 各締約国は、その犯罪が国内で行われたか国際的に行われたかを問わず、また、個人により

行われたか組織により行われたかを問わず、少なくとも次の行為が自国の刑法又は刑罰法規の

適用を完全に受けることを確保する。


(c)前条に定義する児童ポルノを製造し、配布し、頒布し、輸入し、輸出し、提供し若しくは販売し又

は これらの行為の目的で保有すること。

会田誠展覧会の場合

販売はしていないが

営利目的だから

販売行為ともみなせる

国内法では罰する法律はないが


日本は子どもの売買、子ども買春および子どもポルノグラフィーに関する子どもの権利条約の選択

議定書

http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig_pro.html

では禁止にあたり罰則を求めている

だが

日本は子どもの売買、子ども買春および子どもポルノグラフィーに関する子どもの権利条約の選択

議定書

http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig_pro.html

を日本が批准していることはあまり知られていないのではないか

僕も最近、たまたま週刊金曜日の投稿欄で知った


その投稿欄によると

週刊金曜日の3月1日号の渋谷哲也氏の記事に違和感があるようだ

「解釈や鑑賞における感受性は多様だ」に触れて

「人々の感受性は多様だ、は当たり前だ」といい

「「犬」シリーズに象徴される「美少女」をテーマとする

会田作品が児童ポルノであり、性暴力を肯定する価値観を表現するもの、と捉えるかどうか

それを公開展示することが人権侵害であるのかどうかである」である

渋谷氏の「解釈や鑑賞における感受性は多様だ」であれば

森美術館の会田誠展示に抗議した市民団体「ポルノ被害と性暴力を考える会」
http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/

の抗議もまた「感受性は多様だ」のひとつである

ゆえに抗議されれば

正当な反論がなされなければならない

会田誠展について
http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/message.html

このメッセージによると

「このような傾向の作品を不快に感じる方のご入場をご遠慮いただいておりますが」

で果たして済むのだろうか

最初の文に戻るが

この森美術館のメッセージは

ネット右翼が起こしたフジテレビに対する抗議デモ(何に対してのデモだったかわからないが)で

タレントたちが言った

みなきゃいいと同じではないか

であれば

「森美術館は、美術を通して表現される様々な考え方の発表の場であり、それによって対話と議論

の契機を生み出します。本展に関しても、多くの異なった意見を持つ方々が議論を交わすことが重

要であると思われます。また日本の良さは、そのような個々人の多様な意見を自由に表現・発表で

きる社会となっていることではないでしょうか。森美術館は、今後も様々な現代美術の作品を、広く

社会に紹介し、議論と対話の基盤となる役割を果たしていきたいと考えています。」

と言えるのか

抗議に対して議論してませんよね?

会場でシンポジウムを開くなど実践的なことはしてない

そもそも

森美術館の会田誠展示に抗議した市民団体

http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/は市民団体で

官庁ではないのである

官庁が

「わいせつ」摘発しにきたのではない

市民が

人権上、これは問題ありませんか?

と提起しているのである

そのことが

「表現の自由」である

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html


第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

第2項  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

展示する「表現の自由」もあれば抗議する「表現の自由」もある

でないと

在特会のヘイト・スピーチに対するレイシストしばき隊の抗議も

保障されなくなる

そもそも

ネット右翼のフジテレビへの抗議デモ(しつこいようだが何に対してのデモ?)も

保障されない

だが

日本国憲法にはこのような条文がある

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保

持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のた

めにこれを利用する責任を負ふ。

果たして

会田誠氏の「僕の作品群の中には、性的なテーマとは限りませんが、人によってショッキングと受

け取られる表現があると思います。そういう場合、僕は必ず、芸術における屈折表現――僕はそ

れをアイロニーと呼んでいますが――として使用しています(あるいは、僕個人はこの言葉をあまり

使いませんが、『批評的に使用しています』と言い直してもいいのかもしれません)。けして単線的

に、性的嗜好の満足、あるいは悪意の発露などを目的とすることはありません。また「万人に愛さ

れること」「人を不快な気分にさせないこと」という制限を芸術に課してはいけないとも考えていま

す。発表する場所や方法は法律に則ります。」

と言えるのか疑問である

「これらの作品は、残虐な児童ポルノであるだけでなく、きわめて下劣な性差別であるとともに障が

い者差別でもあります。このようなものが、同人誌にこっそり掲載されているのではなく、森美術館

という公共的な美術館で堂々と展示され、しかも、各界から絶賛されているというのは、異常としか

言いようがありません。すでにNHKの「日曜美術館」で肯定的に取り上げられ、最新の『美術手帖』

(2013年1月号)では特集さえ組まれています。」

という市民団体の抗議はまた「万人に愛されること」「人を不快な気分にさせないこと」という制限を

芸術に課してはいけないとも考えています。」ということなのか

市民団体「ポルノ被害と性暴力を考える会」の抗議をそのような解釈の問題なのか?


「残虐な児童ポルノであるだけでなく、きわめて下劣な性差別であるとともに障が

い者差別でもあります。」という問題をみたから抗議したのであって

決して

制限を加えたのではない、

先の

日本は子どもの売買、子ども買春および子どもポルノグラフィーに関する子どもの権利条約の選択


議定書

http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig_pro.htmlによると



「第2条(c)「児童ポルノ」とは、現実の若しくは擬似のあからさまな性的な行為を行う児童のあらゆる

表現(手 段のいかんを問わない。)又は主として性的な目的のための児童の身体の性的な部位の

あらゆる表現をいう。


第3条

1 各締約国は、その犯罪が国内で行われたか国際的に行われたかを問わず、また、個人により

行われたか組織により行われたかを問わず、少なくとも次の行為が自国の刑法又は刑罰法規の

適用を完全に受けることを確保する。


(c)前条に定義する児童ポルノを製造し、配布し、頒布し、輸入し、輸出し、提供し若しくは販売し又

は これらの行為の目的で保有すること。」なのである

国際的に「「児童ポルノ」とは、現実の若しくは擬似のあからさまな性的な行為を行う児童のあらゆ

る表現(手 段のいかんを問わない。)又は主として性的な目的のための児童の身体の性的な部位

のあらゆる表現をいう。」と認めているのである

このことが重要で

そうではない

芸術は国際法を超える

と言いたいのか?

法を超える芸術というのは

「批評」の言葉であって

「作者」の言葉ではない

それに

作者・会田誠氏は「発表する場所や方法は法律に則ります。」とも言っているのである

国内法には則っているが

国際法にはどうか?

疑問である

以上の問題は

森美術館の会田誠展示に限られた問題ではない

多くのロリコン漫画にも言える

これも「見なきゃいい」で済むのか?

「買わなきゃいい」で済むのか?


「買わなきゃいい」で済むなら

ロリコン漫画は発達していないはずである


森美術館の会田誠展示に関して

以前自分のブログでも書いたが

http://taninmiseruniki.seesaa.net/article/341766118.html?1364464650


「欧米ではこのような女性やこどもへの暴力を賛美するような絵が美術館で公開されることはほぼ

ないでしょう。国によって法律が違いますが、仮に違法でないところでも展示が避けられるのは、こ

のような絵の展示は性的な暴力を正当化するという市民の共通の認識があるからです。」(米国の

法務研究者で東京大学の客員教授であるダグラス・マクレーン氏 週刊金曜日2013年3月1日号)

に尽きるのである

不快とか不快じゃないとか「万人に愛されること」といった別次元の問題で


「このような絵の展示は性的な暴力を正当化するという市民の共通の認識があるからです。」

という認識が市民に存在しているかどうかである

その認識は

「人権」と呼ばれる




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2013年3月29日金曜日

戦後の昭和天皇は「国体」の平和利用だった

戦後の昭和天皇は「国体」の平和利用だった

それを示す

重要なブログを見つけた

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?monthly_id=201303


様々な資料をあげて

戦後の昭和天皇の外遊も政治活動ではないのかと分析している

重要なのは

日本国憲法の「自分の立場:立憲君主」にかかっている制約について思いしらされたさい、

「これでは張りぼてにでもならねばならない」と慨嘆したことがあった、という昭和天皇の

発言である

このことは紹介しているブログでも書かれているように

「昭和天皇の戦後意識は「帝国憲法下の統治権総覧者」に停止しており,占領軍に与えられた「新憲法の象徴天皇」をけっして受容していなかったことである。」なのである





ということは
昭和天皇の戦後の表象は何?ということである

戦後の昭和天皇の表象は
おおむね

あ、そう



植物学者である

だが、昭和天皇は

戦時中

「戦争初期のころは、文字通り世界中で日本軍が戦果をあげていた状況で、昭和天皇は各地の戦況を淡々と質問していた。この点で昭和天皇の記憶力は凄まじいものがあったと思われ、実際に幾つか指示等もしている。有名なものとして日本軍が大敗したミッドウェー海戦では敵の待ち伏せ攻撃を予測し過去の例を出し敵の待ち伏せ攻撃に注意するよう指示したが前線に指示は届かず結果待ち伏せ攻撃を受け大敗を喫した例がある。」(ウイキペディア)

戦争指導もしているのである
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87

このことからもわかるように

昭和天皇にも戦争責任はあるのである

そもそも大日本帝国憲法では


第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル

第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第13条 天皇ハ戦イヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

第14条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以之ヲ定ムム

なのである

だから昭和天皇に戦争責任がないとは言えないのであある

もし

昭和天皇に戦争責任がないと言えば

上記の大日本帝国憲法の定義の天皇は

嘘になり

その条文で国民を縛った国体護持者は二重に嘘をついているのである


その嘘が戦後の天皇のイメージ作りである


ポツダム宣言には天皇や皇室に関する記述が無く、非常に微妙な立場に追い込まれた。そのため、政府や宮内省などは、天皇の大元帥としての面を打ち消し、軍国主義のイメージから脱却すると共に、巡幸と言う形で天皇と国民が触れ合う機会を作り、天皇擁護の世論を盛り上げようと苦慮した。具体的に、第1回国会の開会式、伊勢神宮への終戦報告の親拝時には、海軍の軍衣から階級章を除いたような「天皇御服」と呼ばれる服装を着用した。
さらに、連合国による占領下では、礼服としてモーニング、平服としては背広を着用してソフト路線を強く打ち出した。また、いわゆる「人間宣言」でGHQの天皇制擁護派に近づくと共に、一人称として朕を用いるのが伝統であったのを私を用いたり、巡幸時には一般の国民と積極的に言葉を交わすなど、日本の歴史上最も天皇と庶民が触れ合う期間を創出した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87

なぜ、昭和天皇が戦争責任からまぬがれたかというと

戦後、日本に占領したアメリカGHQのマッカーサーの天皇の利用である

マッカーサーは対ソ防波堤のために

天皇を利用した


1天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。

2国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。


3日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。

マッカーサー草案である

その草案が象徴になったのは

日本の鈴木安蔵らの憲法研究会の草案により天皇は象徴になったのである

つまり戦後の昭和天皇の外遊などの「平和」に見える活動は

アメリカGHQと日本の国体護持権力者の合作である

そのことは昭和天皇も熟知していた

だから「日本国憲法の「自分の立場:立憲君主」にかかっている制約について思いしらされたさい、

「これでは張りぼてにでもならねばならない」と慨嘆したことがあった」なのである

つまり自覚的に過去の戦争責任を免罪し

国体を「平和利用」し、アメリカGHQは対ソ防波堤という軍事的理由

日本の国体護持者は軍事的復活を望み

その前に

日本の経済成長という目的があり

日米安保条約も調印するのである

吉田茂は経済に特化できる、と言っていたのである

戦前の大元帥である

昭和天皇の戦争責任の追及がされなくなり

昭和天皇は長らえてしまい

罪を問われることなく死んでしまったのである

戦後の昭和天皇は「国体」の平和利用というイメージのもと

着々と軍事復活がされてきて

今や改憲→国防軍という安倍晋三の主張に弾みをつけている

日本にこれ以上軍事復活を許さないようにするには

昭和天皇の戦争責任を国民が持つことである

戦後の人間宣言の昭和天皇のイメージにいつまでも

騙されていてはいけない

追記

昭和天皇裕仁は1947年9月宮内庁御用掛を通じシーボルト連合国最高司令官政治顧問に沖縄の

長期占領を希望する旨の「天皇メッセージ」を送っている






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2013年3月27日水曜日

木嶋佳苗と麻原彰晃はまったく同じ田舎者である

木嶋佳苗と麻原彰晃はまったく同じ田舎者である

その容姿といい

その

人懐こっさといい

見よ

麻原のこの笑顔



この田舎を彷彿させる

笑顔

この土着

こういう雰囲気が

数字や文字ばかりみていて

頭脳だけで解決していこうとする

当時の高学歴エリートの心に入った

そのことと

木嶋佳苗になぜ男は騙されるのか

ということは共通性がありすぎる




たぶん

多くの男は

俺はこんなブスに

なぜ?



俺はこんなブスに騙されない

という

その根拠無き自信が

すでに

木嶋佳苗の術中にはまっていると言ってもいい

そういう「男」が

彼女のターゲットなのである

そのことは

まるで

宗教に縁がなさそうな

むしろ

社会的地位がある連中が

オウム真理教に

入団してしまった

こととまったく同じで

こういう田舎者は

すでに

日本国民は

首相にしているのである

えっ?

何?

木嶋と麻原とそっくりな首相?

誰であろう

田中角栄である



田中角栄は

官僚を操ることで有名だったと言われている

そのことと

麻原が高学歴エリートを入団させた「人たらし」と

木嶋佳苗が男を騙したその手口

ピアノがうまい、とか、料理がうまい

という「人たらし」は

田中角栄がすでにやっているのである

新潟に新幹線を!

なんども

なんども

騙される

人たち

なぜ

騙されるのか

それは「生きていない」からですよ

生きるということを

いつのまにか

日本では組織に属して

仲良く

出世して

という「物語」だけにした

というか

そんな生き方

戦後ここ数年の生き方であって

普遍ではない

そのことに気づいたほうがいい

そういう「物語」に束縛された人間の心の隙間に

「生きる」ことが「物語」のキャラクターとして活躍する

というゲームになっているから

自分のどうしようもない身体のことをほっておいて
(自分の体をみろ、鏡みろ!)

むき出しの身体をみせつける

麻原、木嶋、田中に騙される

「生きる」ことが「物語」のキャラクターとして活躍する真面目なその姿勢こそが

騙される原因です



田中角栄を超える

超田舎者が日本に君臨していた

その名は

昭和天皇である

次回昭和天皇について書きます



ならば

もっと人間はでたらめでよい

でたらめな映画でも紹介しておきます



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就活で失敗したからといって自殺してはいけない



 就活で失敗したからといって自殺してはいけない

もっといえば

就活であなたを面接で

馬鹿にしたように対応した企業の

面接官、社長に

復讐する

殺してやる

くらいの

感情をもったほうがいい

就活で失敗したからといって自殺してはいけない

あなたにとって

その企業は

一体人生の中でどのくらいの位置だ?

えっ?全部?

そんなことはないです

一部です、一部です

仕事は

自分が生きていくため

楽しむための

金銭を得る

それだけの意味しかない

えっ?

成長させてくれる?

違う

成長は自分でするものだ

そもそも

企業は

最初から

採用する人間は決まっている

コネ、容姿(一流企業と呼ばれる企業は美人が多いだろう?)、

学歴…そんなもので決まっている

表向き選考理由は

コミュニュケーション力だとか

リーダーシップだとか

横文字を並べているだけで

そんなもの企業は求めていない

忠誠、それだけ

そしてどれだけ搾取できるかだ

つまり黙って言うことさえ聞いてやってくれれば

それでいいのである

あなたの能力など

最初からあてにしていない

一時期

能力主義ということで

「仕事のできる」と勘違いした

若者の

「仕事ができないくせに給料は高い」と言われた中高年への

バッシングが起きた

それも

企業による

解雇をしやすい雰囲気をつくる

だけのマスコミの煽りでしかなかった

企業は

従業員のことなど考えていやしない

残業なしで帰らせたりするのは

企業が

労基署からあれこれいわれるのが

嫌だからという

たったそれだけの理由であって

従業員のことなど考えていない

ゆえに

就活のあなたが死のうが

企業にとっては関心外である

だから

死ねな

生活安定のために

企業、特にブランド企業へ就職するのは

間違っている

ただ

どこかで雇われて

食いつなぐしかない

貧乏な人生かもしれない

そのとき頼りになるのは

コミュニティだが

それも存在しない

では

どうすればいいか

それはわからないが

安易な自己啓発本を読むより

社会保障についての本を読む

日本国憲法を読む

労働法を読む

などして

知的武装をしていくのがいいであろう

そう

資本主義が激化した

現在では

米ソ冷戦構造下であったような

高度経済成長モデルにあった企業の高福祉はこれからも

やってこないし

期待してはいけない

資本主義に期待してはいけない

頼りになるのは

自分である

寄らば大樹の思考を捨てよ

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2013年3月26日火曜日

オウム、在特会もまた「毛沢東主義」の悪い影響下にある

オウム、



在特会もまた





「毛沢東主義」の悪い影響下にある


つまり

それは

毛沢東の革命は銃口から生まれる

や長征、実践論、文化大革命などなどの

パロディです




「毛沢東主義」の

悪しき影響は

まず

日本共産党の山村工作隊ですでに行われ、瓦解している

山村工作隊とは


この行動は

日本共産党も誤りを認めている

その中には文化人もいた

ここで彼らの名前を上げても仕方がないので

いちいち書きませんが

中国の農村と日本の農村を同じようにみた

日本における悪しき「毛沢東主義」の挫折です

だが

その再演が

なんとフランスで行われる

それがマルクス葬送派を言う

ヌーヴォー・フィロゾーフ(新哲学派)です

その代表がベルナール・アンリ・レヴィの「人間の顔をした野蛮」で

結局、その後はサルコジにカダフィ打倒するよう進言する「官僚」になっています



 彼らは毛沢東かぶれで、西洋を乗り越えた思想だと

息巻き

そのフランス経由の「毛沢東主義」が

日本に流れ着き

あげくの果てに連合赤軍として結晶する

オウム真理教が騒がれた頃

なぜか

60年代崩れ(正確には全共闘崩れ)の「新左翼」が

興奮していた

それは

「毛沢東主義」を見事にオウムが行っていたからで

その部分に「新左翼」が過敏に反応していた

オウムのサリンを撒く、もしくは軍事路線は

どうみても

革命は銃口から生まれる、です

では

在特会の行動スタイルも

悪しき毛沢東主義の影響です

彼らの

行動原理は

毛沢東の実践論です

なんで日本の「行動する保守」を名乗る右翼が毛沢東主義?

それは「行動する保守」の「行動」に力点があるという点で

毛沢東の実践論に重なっている

実践論
http://www.geocities.jp/maotext001/maosen-1/maosen-1-419.html

「実践と認識の内容は一循環ごとに、より一段と高い段階にすすんでいく。これが弁証法的唯物論の認識論の全体であり、これが弁証法的唯物論の別と行の統一観である。」

これは要はヤンキー的気合じゃないのか?

毛沢東もヤンキーか?(笑)

こういう「エキセントリック」な思想には

やはりフランスのヌーヴォー・フィロゾーフ(新哲学派)も感化されるのか

そして

「高学歴集団」であると言われたオウム真理教

サラリーマン、OLなどのホワイトカラーも含まれる在特会



憑かれてしまうのだろう

リアリティを失った磁場には

実践もしくは行動を高らかに謳い上げる

精神主義が称揚される

その悲惨な結末がオウムのサリンであり

連合赤軍のあさま山荘である


だがなぜ在特会という「行動する右翼」が

「毛沢東主義」にかぶれるのか

オウム真理教という宗教団体が

「毛沢東主義」にかぶれるのか

それらへの回答は僕にはわからない

だが、彼らの行動は「毛沢東主義」の実践のパロディだということだ


今言えることは

行動及び実践を上位に置く

その思想形態は

すぐれて

ヤンキーだということ

毛沢東主義もまたヤンキーである

彼らもまたヤンキーの心理をもった人間である、という情けない現実だということだ


生きるリアリティを失うと

実践とか行動とか言い出すそういう

ヤンキーに犯されないことが

精神衛生上よい


ところでこれも「毛沢東主義」の悪しき影響か?





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2013年3月25日月曜日

承認欲求が満たされないからといって差別してはいけない

承認欲求が満たされないからといって差別してはいけない

承認欲求に関してはマズロー参照
http://homepage1.nifty.com/usshie/desire5step.htm
(このサイトでは尊敬欲求に当たる)

当たり前の話だが

その当たり前の話をこんこんと

ブログで書いて確認事項としておきたい

在特会やネット右翼の差別的な活動を

承認欲求が満たされいからという

ツイートをよくみかける

ソースはここでは示すことはできないが
(いちいち探すの大変)

おそらくあなたもツイッターで見ると思う

一見、もっともな理由に見える

不況が背景にあって云々と文章は続く場合もある

だが

承認欲求が満たされない(愛されない)からといって

新大久保や鶴橋で「朝鮮人死ね」などという言葉の暴力を吐きながら「デモ」をする理由にならない

ネット右翼もネット上で「朝鮮人死ね」などという言葉の暴力を掲示板に書き込みをする

理由にならない

もし承認欲求が満たされない(愛されない)ことが「心の不満足」を表し

外部へ攻撃的な行動になる

のであれば

マズロー法則に従い

下位の段階にある生理欲求、安全欲求、帰属欲求が満たされない

日本の相対的貧困者「約2000万人」はどうすればいいのだ

インドのカースト外の不可触賤民はどうすればいいのだ

そもそも

死ね、などと言われてしまう在日朝鮮人も

生理欲求、安全欲求、帰属欲求も満たされているかどうか

満たされていても

「日本」からの帰属を認知されていないし

承認もされていない

彼らはどうすればいいのだ!


在特会やネット右翼の差別的な活動を

承認欲求が満たされないからという言葉には

僕には違和感がある

ちなみに

維新の行動も

承認欲求が満たされないからという言葉で

「分析」できてしまう

それは、会社員が上司にはこびへつらい

部下をモノのように扱う

姿勢も承認欲求が満たされないからで「分析」できてしまう

それは間違っているだろう


在特会やネット右翼の差別的な活動を

承認欲求が満たされないからと説明づけるのは

一見もっともである

だが

だからといって

承認欲求が満たされないからといって差別してはいけないというのは

当たり前の話だ





生理欲求、安全欲求、帰属欲求は充分満たされているよね(苦笑)↓
その段階で満足しておけっつ~の!
 





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2013年3月23日土曜日

脱原発は左右もない、というイデオロギーの無色透明を迫る悪質なイデオロギー操作

脱原発は左右もない、というのは

結論からいえば

イデオロギーの無色透明を迫る悪質なイデオロギー操作です

脱原発は

言うまでもなく

国民対資本=国家の闘争です

また

原発を止めなければ

環境が破壊されてしまう

これも

資本主義に対する反対です

愛する祖国の自然が破壊されるから

という

「愛する祖国」は脱原発運動もしくは反原発運動にはいらない

というか「愛する祖国」でなくても

環境破壊は困る

戦争中の敵側の国の

環境破壊を見逃していいのか

そんな「政治」に左右された

環境破壊への反対こそが

「国家主義」であるがゆえに批判されなければならない

環境破壊に対しては

私は、私と私の家族、友人、恋人のために

環境破壊する原発

環境破壊で「利権」を貪る資本と国家の接合体に抗議する

私は

愛する祖国のため

原発に反対するのではない

私は

私は、私と私の家族、友人、恋人のために

である

個人が先にある

個人の国家=資本への反対と同時に

人類共通の課題で

脱原発や反原発に取り組むのである

そのことをもって脱原発に左右はないといえない

というのは

右派勢力の

脱原発は「愛する祖国」が汚されたからであって

地球が汚された

という人類共通の視野に立ってないのである

つまり反原発は左右を超えて、ではなく

左右を超えてというレベルをさらに超えて

人類の課題にする

当然ながら

核兵器廃絶も

人類共通の課題である

だから反原発デモで

日の丸が上がる

ということが

左右もないどころか

明らかに右への旋回を迫っている

つまり脱原発は左右もない、というのは

右側からの

「健全なナショナリズム」を求める

国家主義運動である

ゆえに脱原発は左右もないという無色透明を迫る悪質なイデオロギー操作には

個人として

私は反対する

何度も言う

反原発は


「私は、私と私の家族、友人、恋人のために

環境破壊する原発

環境破壊で「利権」を貪る資本と国家の接合体に抗議する

である」

個人を基礎にした闘争が前提でない限り

個人を消す

左右もない運動は

崩壊する

左右がない状況とは

近衛文麿の「大政翼賛会」と似た構図であり

バラク・オバマにもその兆しはある

つまり

それらは

全体主義と名付けられる

そもそも

右翼は児玉誉士夫人脈の

正力松太郎、中曽根ら右翼が原発誘致をはかったという

過去を

右翼自身が

批判しない限り

右も左もない

とは言えないのである

右からの脱原発を唱える

統一戦線義勇軍・針谷大輔氏の従軍慰安婦に関するツイートです
http://togetter.com/li/172359


「端的にいえば、貴殿らとは考えを異にすると思います。ベトナム戦争、GHQを見ても分かるよう

に、兵士が行く所にはヘルスもソープも必要です。」何をかいわんやである

このツイート以外では針谷氏の右からの脱原発デモの呼びかけ文である(「右からの脱原発」)

「国家は国の宝である子供達の命も未来も考えない存在ということが露見されました。戦中の大日

本帝国は、戦時下の大変な最中でも、国の宝である子供たちを疎開させています。」

戦争が問題だろうに!

子供の命を危険にさらす戦争への批判はないのか?

脱原発にことかいて

戦争を美化する、というのは間違っている、

脱原発に左右はない、どころではない

少なくとも右からの脱原発は原発を推進してきたのが

児玉誉士夫の人脈の右翼であることが

事実である限り

その事実に目をそらさないまま

いくら

祖国の環境が…と言われても

その環境を汚したのは

右翼である

事実

極右首相安倍晋三は原発再稼働を宣言している

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2013年3月22日金曜日

はるかぜちゃんという「大人」


これだけではるかぜちゃんは「大人」だということがわかるのに



毅然なんて言葉を12歳の子供が知ってるかなあ

僕は断言する

はるかぜちゃんという「大人」を傷つけて良い

構わない

はるかぜちゃんを背後で操る「大人」は傷つけられてよい


うわっ、ぬ、だって、しらじらしい…

ぬ、とか、(ω)とか使って「子供」らしく見せるその「官僚」的な

「大人」の嫌らしい演出に

吐き気がでる

はるかぜちゃんのツイートを子供の「言葉」と信じている

人間は

子供を見たことがない



断言する



何この営業は?




何この大人のような悟った言葉は

いやらしい

陰湿な大人がはるかぜちゃんツイートをしている

嫌味な嫌味な相当嫌味な

「大人」でしょう

反吐がでる

はるかぜちゃんという「大人」は芸能界に特有な現象なのか

AKB48の丸刈りも

はるかぜちゃんという「大人」の極端な現象で

背景には陰湿な「大人」秋元康が存在している

はるかぜちゃんとともにAKB48の丸刈りにされた峯岸みなみも

共に

虐待の被害者である

そのことは事実である

芸能界が

児童虐待の放置になっているのでないか


 

この謝罪もはるかぜちゃんは「大人」という現象で 人工的で作為的でいやらしい演出ですね


はるかぜちゃんという陰湿な「大人」に影響されないために

以下の詩を読むのが自分を守ります

自分の感受性くらい  茨木 のり子

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ




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2013年3月21日木曜日

必見!台湾の反原発CM



 すばらしい

 見なきゃね

 今回は紹介だけです

 じっくりと見てください

見るべきものは何か?

見なくて良いものは何か?

見るべきものを

見落としてないか?

これは

必見です

こんなにわかりやすい

シンプルな

表現で

多くのことを語っている

見るべき作品です

台湾の反原発デモです




そして韓国の鄭周河は原発事故後の福島被災地を撮影している


鄭周河(チョン ジュハ)写真展 「奪われた野にも春はくるか」
http://ubawaretanonimo.blog.fc2.com/






















反原発のうねりはとまらない

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2013年3月20日水曜日

中国脅威の対抗軸としてのTPP参加が日本の政・官・財の思惑だろう

中国脅威の対抗軸としてのTPP参加が日本の政・官・財の思惑だろう

つまり

軍事、政治、経済など日本をはるかに凌駕していく中国への

対抗軸として

TPPに参加して

アメリカからの庇護を得る

というのが

日本の政・官・財の三位一体構造の目的だから

日米同盟強化もセットで叫ばれるのである

事実安倍は叫んでいる


日米で中国潰し 経済的、軍事的に牽制 TPP交渉参加
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130316/plt1303161436003-n1.htm



日本はTPPというアメリカブロック経済圏に

参加することにより

アメリカの庇護を得たいのだろうが

その庇護は国民の犠牲が伴うのである

というか

アメリカと多国籍企業は

そういう日本の政・官・財の三位一体構造の目的とは

関係なく

搾取していくだろう

だが

彼らは

中国の脅威よりましと言い募るだろう

そんな日本の政・官・財の三位一体構造を

あざ笑うように

オバマは中国にTPP参加を促している


中国のTPP参加を望むアメリカ
http://blogos.com/article/58220/


この記事を読むと

アメリカは中国と軍事衝突を避け

中国をとりこむことによって

中国を抑え込むということだが

そのアメリカの動きが

どうも

日本の日本の政・官・財の三位一体構造はみえないようだ

安倍首相に至っては


日米で中国潰し 経済的、軍事的に牽制 TPP交渉参加
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130316/plt1303161436003-n1.htm

である

安倍首相の目的に

アメリカが従うわけがない

「アメリカは現在、中国との関係を深めつつ中国を抑え込もうとしている。そのため、日本と中国が

軍事衝突を起こすといったようなことは出来るだけ回避したいと考えている。それゆえ、本音では日

本の憲法改正も望んでいないだろう。」なのである


中国のTPP参加を望むアメリカ
http://blogos.com/article/58220/

この読み違いは今後

日米分裂を起こし

TPP参加した日本の内部から

TPPに反対する愛国主義的な人間の

「日米戦争」までいうのではないか

なにしろ

ファナティックな「民族」である

もしくは

TPP参加は

中国の陰謀とか言い出すやからもいるかもしれない

最初の話に戻るが

中国脅威と日本の政・官・財の三位一体構造は見るのは

アジアへの帝国主義膨張があることの裏返しである

つまり

日本の政・官・財の三位一体構造はまだアジアを侵略する気がある(
経済侵略も侵略とも言える。そのための原発輸出を日本の政・官・財の三位一体構造は企画している
「原発輸出で日本の技術を上げられる」
http://globe.asahi.com/feature/100802/03_2.html  )

と僕は見ている

しつこいようですが日本国民は確認しておいてください

総選挙前の自民党公約です


総選挙で自民党が公約した6項目


(1)政府が、「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り、交渉参加に反対する。

(2)自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受け入れない。

 (3)国民皆保険制度を守る。

 (4)食の安全安心の基準を守る。

(5)国の主権を損なうようなISD(投資家対国家紛争)条項は合意しない。

(6)政府調達・金融サービス等は、わが国の特性を踏まえる。


TPP反対とは安倍退陣なり


明らかに公約違反ですよね

反対をしているポースだけですね

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2013年3月19日火曜日

3.15弾圧は過去ではなく「現在進行形」である

3.15は3.15事件の日だった

3.15事件とは1928年3月15日共産主義者、社会主義者へ行なった弾圧である

大正デモクラシーの台頭とともに

知識人を中心に政府への批判が強くなり

危機感を募らせた

日本政府(田中義一内閣)が

普通選挙法と引き換えに

成立した治安維持法で

日本共産党、労働農民党などの「容疑者」約1600人が検挙されたのである。

この状況は

戦前の大日本帝国という天皇が統治権を総覧するという

絶対君主制(みかけばかりの立憲主義)

で起きた事件だが

日本国憲法が制定され

人権が保障されている

現在の日本でも起きている

最近の例だと

モジモジさんという人の逮捕だ

【衝撃走る】モジモジ先生、逮捕!


http://togetter.com/li/420091



【大阪がれき】モジモジ先生の不当逮捕について。- 2012.12.09





戦前の3.15事件を過去のことと思っていてはいけないのである

現在進行形の

出来事である

TPPに参加されれば

企業への訴訟も

ISD条項によって逆に消費者が

企業に損を与えたということで「腐った司法」により賠償を命じられ

改憲されれば

日本国民への人権抑圧は

総仕上げになる

そのために

日本政府及び御用文化人、ネット右翼らは

日本国憲法をアメリカの押し付けだと根拠なき攻撃をしてくるのである

日本国憲法はアメリカの押しつけではないことは

以下の本からも理解できる



簡単に要約すれば

日本国憲法の草案は日本人である

鈴木安蔵、高野岩三郎ら「憲法研究会」の憲法草案をほぼ全面

採用しているのである

つまり

日本国憲法は

確かに

制定過程では

アメリカ連合軍の早く憲法を作り

日本を対ソの防波堤にするという

急ごしらえの事実は

あるにせよ

その条文の草案は

日本人の鈴木安蔵、高野岩三郎ら「憲法研究会」の草案から生まれているのである

だから

日本政府は

この憲法を

逆に

憎むのである

それは

国体の意味を下げ、国民主権、基本的人権の尊重などを

宣言した

日本国憲法の条文の草案は

ほかならぬ日本国民が生み出したものだからである

国体主義者にしてみれば

国民主権、基本的人権の尊重

ましてや

象徴天皇が憎くて仕方がない

日本権力層による日本国憲法への攻撃の正体は

日本国民への攻撃である

その動きをになっているのが

安倍首相に組織された閣僚

ほかに

体制補完である橋下率いる維新である

日本国憲法が改憲されれば

日本国民に明日はない

日本国憲法です
http://kenpou.jp/

3.15は過去の出来事ではない

現在の

改憲されたら

引き続き起きる

現在の事件である

蟹工船より


日本国憲法です
http://kenpou.jp/


憲法の重要さを

最も理解していたのは

明治憲法を制定した

伊藤博文である

「日本の憲法における、国会の権限、国民の投票権は、あなたの国に比べるとごくかぎられている

と思われるであろうが、あなたの国の国会も数世紀前にはそうだった。世紀を重ねて、徐々に権限

が強くなってきた。我々の憲法もそのように進化していくことを確信しています。」

そしてこう言っている

「憲法を制定する精神は、君権を制限し、臣民の権利を保全するためにある」

明治憲法という

外見的立憲主義の制定者でさえ

立憲主義の意味を理解していた

だが

自民党憲法草案には

立憲主義のかけらすらない

自民党憲法草案と日本国憲法を読み比べてください

『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に・・・
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm

おまけです

新日本国憲法ゲンロン草案全文
http://genron.blogos.com/d/%BF%B7%C6%FC%CB%DC%B9%F1%B7%FB%CB%A1%A5%B2%A5%F3%A5%ED%A5%F3%C1%F0%B0%C6%C1%B4%CA%B8









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自分こそが愛国だと胸を張る小林よしのりのいかがわしさ

小林よしのりのような

あからさまな歴史修正主義者が

ネット右翼を差別しろ

とか言い出している

小林よしのりの歴史修正主義にネット右翼は同調したのだと

僕は理解している。

小林よしのりが自分が真の愛国者だと威張っているサイトが以下である

https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=joigvj4g8-736#_736


転載する

「理路整然と意見を話すのが愛国者
 出所不明な怪文書を貼るのがネトウヨ

有識で周りの評価が高いのが愛国者
 無職でプライドだけ高いのがネトウヨ

日本人である事を誇りに思うのが愛国者
 日本人である事だけが誇りなのがネトウヨ

討論で相手の愛国度をはかるのが愛国者
 討論で相手を売国奴扱いするのがネトウヨ

君が代をきちんと歌えるのが愛国者
 気味が悪いほどネットで吠えるのがネトウヨ

家族思いなのが愛国者
 家族の重荷になっているのがネトウヨ

社会に出て一人前なのが愛国者
 2ちゃんねるでだけ一人前なのがネトウヨ

日本の歴史と政治に学が深いのが愛国者
 2ちゃんの書き込みとレスが不快なのがネトウヨ

日本人が逮捕されると残念だと嘆くのが愛国者
 日本人が逮捕されると通名だとわめくのがネトウヨ

日本の事を敬虔(けいけん)に思っているのが愛国者
 自分の事を聖戦士だと思っているのがネトウヨ」

転載して読んでみたが

ネット右翼の定義に多くの人は納得して

溜飲をさげてはいけない

というのは

ここで定義された愛国者のほうが問題である

上から検証していく

「理路整然と意見を話すのが愛国者」
理路整然と話すのは愛国者でなくても話せる(笑)むしろ愛国心という「宗教」に縛られていないから愛国者でないほうがより理路整然と話せる

「有識で周りの評価が高いのが愛国者
これも愛国心とはまったく関係ない

「日本人である事を誇りに思うのが愛国者」
これはそうかもしれないが、だったら韓国人が韓国に抱く愛国は何?だよ

「討論で相手の愛国度をはかるのが愛国者」
討論で愛国度をはかり愛国度が低ければ、非国民とでも言うのか?

「君が代をきちんと歌えるのが愛国者」
暫定的に君が代が国歌になっているだけでしょうに。

「家族思いなのが愛国者」
これも愛国とはまったく関係ない

「社会に出て一人前なのが愛国者」
愛国者の安倍は一人前か?

「日本の歴史と政治に学が深いのが愛国者」
安倍首相が従軍慰安婦問題で「(日本軍による)強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」という安倍は日本の歴史を捻じ曲げている

「日本人が逮捕されると残念だと嘆くのが愛国者」
日本人以外が逮捕されても残念と思うのが人情

「日本の事を敬虔(けいけん)に思っているのが愛国者」
敬虔の中身は?

続けて

小林よしのりは

ネトウヨを差別しましょう!!

と言っている

つまり

これはネット右翼より自分たちこそが真の愛国者だと胸をはるエリート意識以外何者でもない

真の愛国をもてば

真の日本国民になる

というキャッチコピーは安倍晋三と何ら変わりない

ということは小林よしのりの定義に沿わない愛国者は

ネット右翼と言われるのだ

それは非国民と似たようなものだ

そして、小林よしのりは

安倍晋三とも自分は違うと言っている

どう違うのか、「愛国業界」にいない僕にはわからない

ここで内田樹氏の愛国についての論を紹介する

彼の論が上記に示した「愛国業界」の欺瞞をわかりやすく説明している

愛国について語るのはもうやめませんか
http://blog.tatsuru.com/2007/06/20_1056.php


内田樹氏の論によれば

「人は「愛国心」という言葉を口にした瞬間に、自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。」

まったく小林よしのりがネット右翼に行なった断罪がそうである
続けて
「私はそのことの危険性についてなぜ人々がこれほど無警戒なのか、そのことを怪しみ、恐れるのである。」

この場合、ネット右翼より

自分が真の愛国者だと胸を張る

小林よしのりは「自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。」になっているのである

愛国を端的に説明する

浦部法穂氏の「憲法学教室」によると

「「国家」の実体は「権力」である

「国家」すなわち「権力」は私たちのイメージする国に乗っかってしまう

ことによってあたかも「私たちのもの」であるかのように、存在を主張することになる。

「国を愛する心」とか「国を守る必要」とかの言葉が、私たちに、ある種反論を許さない響きをもって

受けとめられるのは、私たちが、想像の中の存在として「国」をイメージして、これらの言葉をうけ

とめるからである。

しかし、それは「国」の実体ではない。そこでいわれる「国」の実体はほかならぬ「権力」そのもので

ある。

そうであれば、「国を愛する心」とか「国を守る必要」というのはじつは、「権力を愛する心」、

「権力守る必要」というのは、じつは、「権力を愛する心」、「権力を守る必要」と同義となり

私たちには無縁の言葉であることが一目瞭然となろう。」

我々に必要なのは「愛国」ではない

では何が必要とされてくるのか

「人権」である








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2013年3月18日月曜日

若者を作ったのは若者を非難する大人である

若者を作ったのは若者を非難する大人である

若者をコミュニュケーション力がない

と断定する大人がコミュニュケーション力がない若者を作った

若者に忍耐力がない

と断定する大人が忍耐力がない若者を作った

右傾化した若者も大人が作った

僕はそう思っている

若者の多くは言葉を失っている

僕は今まで日雇い派遣も行き

現在も中高年アルバイトで

職場に若者がいて

接しているので

僕の中で体験した

若者像は言葉を失われている

ということだ

こういってはなんだが

洗脳されたロボットのようなものだ

僕が以前、よくよく利用した日雇い派遣で行く現場(今はそこから少しぬけだした)で接した若者に

不思議なのは

日雇い派遣に行かざるを得ない若者が

企業の考えをそのまま受け入れているのである

日雇い派遣にいかざるを得なくなったのは企業の行き過ぎた活動に

原因がある「格差」なのに

企業の考えをそのまま受け入れている

愚痴をこぼすが

それも企業内の考えの範囲の愚痴である

根本を疑おうとしない

その姿勢は日本の学校教育にあるのではないか

小さな頃から言われたことやりなさいと言われ続け

言われたことをやっていれば

お咎めなし

というあきらめのような態度になっているのではないか

ネット右翼も掲示板に書かれていた「大人」の意見に感化されたのだろう

つまり

簡単に言えば「周りに流されているだけ」である

「周りに流されているだけ」の人間は自から主体的に

何かやろうとすることはないので

当然、コミュニュケーション力はあるわけがない

忍耐力も自分でこれを成し遂げようとする自分の考えがでてこない限り

忍耐力なるものは起きてこない

つまり

僕が接した不思議さを感じさせた若者にあるのは従順な態度だけで

従順でありさえすれば

お咎めなしで過ぎ去る、というくらい姿勢だけしかみえない

それは

「日本」という国では過去数回見られてきたことで

特に若者が変質したわけではない

むしろ

若者を「日本」化させたのである

「日本」化した若者が

企業の言う「国際競争力」などに参加できるのだろうか



これは僕の数少ない体験であって

一般的な話ではないことをここで確認しておきます



資本主義なので何らか企業に従属することになるが

心まで従属されるのではなく

適当につきあう、というくらいの

「知恵」を備えた「大人」になって欲しいと願うばかりです


こんな本でも読むのがいいと思う





若者よ「狡く」なれ

というかもっと簡単に説明できる単語があった

日本の若者はヤンキー化した

それだけだな

これ読むとわかります

ヤンキー的な気合主義が蔓延している
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130317-00013068-toyo-bus_all …


文中の「かつては不良経験を持った人しかヤンキーになれなかったが、今や不良経験というコアな

ものを抜きに、バッドセンスだけを引き継いだヤンキー層が広がりつつある。」

つまり日本の若者の従順化という現象はヤンキーの論理を身につけてしまった結果でしょう

まあ、希望がないのでヤンキーになるしかない という「老人」なんですよ 

つまりヤンキーというのはもっとも「老人」であること

  靖国を参拝する遺族会の老人を見よ
ヤンキーだ


若者よヤンキーのままでいいのか?

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2013年3月17日日曜日

右から左まで愛国を合唱する奇妙な国日本

日本という閉鎖空間では右が国民コントロールするため愛国心を植え付けるのは

 特に 日本のような「宗教的規制」がまったくないところでは効果的である 

日本も以前、江戸時代、天草時貞四郎に引き連れられた島原の乱でわかるように 

当時は藩及び徳川体制への忠誠が「愛国」のような機能を果たしていたが

彼ら島原の乱の人間にとっては 藩及び徳川体制よりキリストが上位にある 

ゆえに「愛国」など自然な感情ではないことがこれだけでもわかる

つまり「宗教」はネイションを阻害するがゆえに

 国家による「宗教的利用」であるが行われる 

その端的な例が伊藤博文が発明した国家神道である 

またローマ帝国におけるキリスト教の採用

 ほかに「イスラム原理主義」であり 「キリスト教原理主義」(ブッシュ)であり

 現在、もっともその過激な暴力形態がイスラエルである 

宗教と国家の関係は以上のようなもので 

日本ではネイションを阻害する「宗教」の力が絶対的に弱いので 

誰もが日本でもっとも有力な宗教である 国体=国家神道=愛国に支配されている

 だが 三島由紀夫は 愛国を官製の言葉がすると嫌っていたし 

中野剛志という潜在的自民支持者も 「愛国ではなく忠国」と言っている 
この本で言っている(つまらないので途中でやめた)

つまりこの忠国という言葉が端的に示すように 国家に対し「保守」は忠である

 従うしかない

 だがそれも 中野剛志という元・官僚のイデオロギー的言説でしかない 

注意して欲しいのは保守と元官僚が言った言葉で われわれ貧乏人及び人民には関係ない話であ



 三島由紀夫の愛国は官製という言葉と言ったのは 彼においては 国体は絶対的な正義ではなか

ったのか

 そう思われる だから 三島のような言葉をもって 右翼を批判しても仕方がないのであるが まあ、

バカ右翼には「忠告」にはなるのであろう(笑)

 僕には不思議でならないのが TPPに参加表明するといった安倍晋三を 

売国奴と罵る「左翼」風である

 以前の記事でも書いたが
http://communismworker.blogspot.jp/2013/03/blog-post_7.html
 売国奴とつぶやかせるその意識をもたらしたのは

 安倍のような極右であり

 その極右イデオロギーに染まっている「左翼」風がまったくよくわからない

 そもそも 日本共産党が尖閣を日本の固有の領土と言っていること自体が 

日本の左翼など「左翼」風であって 左翼ではない  「愛国」を叫んでいる

ゆえに日本に左翼がはびこっている、というネット右翼のつぶやきは 論証不明

で じつは正しくは 「左翼」風がはびこっているだけである

 それだけのことで 「左翼」風は民主党を見ればわかるが いつでも簡単に右傾化する 

単なる保守反動である



三島由紀夫は愛国という言葉を嫌っていた、そして全学連と対話した(全共闘になってますが正しくは全学連です)




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2013年3月16日土曜日

賃上げ要求は「成長戦略」に与するだけ

賃上げ要求は「成長戦略」に与するだけで

労働者の労働三権

生存権

などを保障するのだろうか

日本共産党の意見は

賃上げをすることによって

「内需拡大」と

資本家にも受け入れられようとしている

うそくささが充満している

そして

当然、「感情」だけで動く労働者は賃上げに喜ぶ

だが

名目賃金をあげたところで

物価上昇が伴うので

結局

実質賃金は下がるのである

今後、消費税上昇があるので

備えあれば憂いなしである



賃金上昇は

すでに

産業界の要請にもなっている

というのは

内部留保をいくら溜め込んでも

実需が上がらねば

内部留保をしているその意味があるのだろうか

資本もまた

消費が増えない

というデフレに苦しんでいるのである

というより

資本にとっては

デフレは困るのである

デフレなるもの

見方を変えれば

不買のようなものになっている

私は不買の意志はない

買えないだけだ

というのも

構造的に見れば

不買です

つまりいくら金融緩和などしようが

売る=買う

という商業行為がある限り

消費者でもある労働者の購買力を増やさない限り

資本もも延命できない、という積極的なアピールが

以下の雑誌です



これは日本共産党の雑誌ではなく

むしろ

経営者向けの

企業よりの

雑誌です

そもそも

安倍晋三自体、賃金上昇を要請している

そのことが

リフレの嘘を証明している

賃金上昇で喜ぶのは

保障で守られた「正規雇用」と

資本家だけです

泣くのは

非正規雇用で

相対的貧困層2000万人です

日本共産党も

連合とかわりないのか

自民党とかわりないのか

日本共産党が主張すべきは

生存権の確立で

「成長戦略」に手を貸すことではない

というか賃金上昇を最初に唱えたのは資本家のヘンリー・フォードという事実を今、思い出した

賃金労働者の賃金を上昇させて消費をあげる

そのことで自社の「成長」をさせる

その「成長スタイル」は日本の松下電器(現・パナソニック)、トヨタなどにも受け継がれている

各社の消費が増え、実需が向上し、在庫余剰という資本にとっての危機をだましだまし、「経済成

長」をしてきた

総資本の「経済成長」は何をもたらしたか

大量生産、大量消費の環境破壊です

原発がないと電気が動かせない、が「経済成長イデオロギー」を端的に示している

そういえば日本共産党もある時期までは原子力の平和利用はいい、と原発を認めていた

経済成長とはそういう病である

よろしくお願いします
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2013年3月15日金曜日

言える政治家の登場を期待してはいけない

言える政治家の登場を期待してはいけない

 わかりやすい例が 安倍首相が従軍慰安婦問題で「(日本軍による)強制性を裏付ける証拠がな

かったのは事実」と発言である 

この発言は、日本の内向きな(つまり、自分は戦場に行ってないか、後方で威張っていた上官ども

かその末裔だろう)右翼が よくぞ言ってくれた、安倍くん! つまり、安倍はそうやってほめてほしい

のである 安倍のそのナルシスがいかに国際社会と日本に齟齬を来たし 日本の「国益」を損ねてい

るのか、安倍は理解できているだろうか


 例えば以下の記事 「日本は冷遇された」事を認めた毎日新聞編集委員 http://www.amakiblog.com/archives/2013/02/28/


 夕食会も出迎えもなし。日米首脳会談で見せ付けられた日本軽視の厳しい現実 http://news.kyokasho.biz/archives/6571

 奴隷根性丸出しの安倍首相 http://blogs.yahoo.co.jp/hellotomhanks/63817598.html

 なぜ、そうなるのかは 原因は「安倍首相が従軍慰安婦問題で「(日本軍による)強制性を裏付ける

証拠がなかったのは事実」と発言である」という 国内の支持層の支持とりつけの幼稚なナショナリ

ズムに発しているのである このことは アメリカは警戒しており 特に現在は尖閣諸島という無人島

をめぐって日中対立を民主党が起こしたばかな外交を 批判もせずに安倍が継承しているという現

実もあり 警戒を強めている 今回の安倍訪米直前、2月15日の米国の議会調査局が米日関係、

安倍政権について詳細にわたる報告書を出しています。 http://www.fas.org/sgp/crs/row/RL33436.pdf。
 香港拠点の著名なジャーナリスト、程翔氏による


安倍訪米関連記事
http://www.asianewsnet.net/No-free-hand-for-Japanese-hawk-43428.html
(この記事では、尖閣問題でオバマの支持をとりつ けようとした安倍は全く相手にされたなかったと言っています)。

 つまり安倍はオバマにとってははた迷惑な存在であり 孫崎氏はこう言っている http://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar135782
日本人は気づいていない。オバマにとって「安倍政権は負債」です

 国内の幼稚な政治状況にしか目が向いてないので いかに日本が置かれた位置がわからなくなる

のだが 海外から見た安倍政権の評価が 今後の日本の将来を左右するといっても過言ではない 

だから日本の「国益」を損ねているのか、である

 最後に 安倍首相を精緻に分析した 記事を紹介しておく 安倍首相に対する「不快感」を世界に晒したオバマ大統領:安倍自民党政権の誕生により民主党政権より悪化した日米関係 http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/609.html

言える政治家は安倍に限らないのだが 今回はわかりやすい例で安倍をとりあげた

 ほかにも国内の内向きなナショナリズムを刺激するだけの 言える政治家はごまんといる 言える政

治家を支持してはいけない




なんか言ってますぜ(笑)


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2013年3月14日木曜日

君は代を歌わない教師こそがもっとも憲法に定義された公務員を体現している

君が代斉唱に従わない教師こそが

「良心の自由」を擁護している


第19条「思想及び良心の自由」
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

という意味で

日本国憲法の理念である基本的人権のなかの「自由権」を

体現しているという意味で

第99条「憲法尊重擁護の義務」
 天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を
 尊重し、擁護する義務を負ふ。


条文をすなおになんの解釈もなくそのまま

読めば


君が代斉唱に従わない教師は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」、つまり


大阪府教育委員会の君が代強制(思想及び良心の自由は、これを侵している)に対し「思想及び

良心の自由は、これを侵してはならない。」で国民主権、基本的人権で抵抗したのである

しかも府立高校の教師であるから公務員


第99条「憲法尊重擁護の義務」
 天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を
 尊重し、擁護する義務を負ふ。

まさに日本国憲法の第99条を遵守している

モデル公務員です

私の見方が突飛に見えるだろうか

突飛に見えるならあなたは日本国憲法(人権、国民主権、平和主義)より

国体を上位におく人間です

日本国憲法の二つの条文をしかと読んでください

何も解釈抜きでそのままそのままう読むのです

そのまま読むと

私が言っていることは突飛に見えてこないです

私が言っている「君は代を歌わない教師こそがもっとも憲法に定義された公務員を体現している」

に納得できない、突飛だ

という人間は繰り返して言います

国体に縛られている

国体に縛られてしまったあなたは以下の大阪府の懲戒処分に心の底で同意してしまったでしょう



不起立教職員は9人 国歌斉唱 3回目の免職前に定年も
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130304/wlf13030417180014-n1.htm


産経の記事では国歌になっているが

国歌と確かに法律で定められている



国旗及び国歌に関する法律
(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)



だがこの法律自体が違憲である可能性が高い

国旗・国歌強制の憲法問題
http://www.jca.apc.org/~kenpoweb/special/no_coerce.html


「国旗」「国歌」の強制に反対する行動をした結果、処分などを課されたとしても、そうした処分は憲法違反となるでしょう。(文中より)

つまり大坂府教育委員会は「そうした処分は憲法違反となるでしょう。」です

「日の丸・君が代訴訟」最高裁判決
http://www.jicl.jp/urabe/backnumber/20120126.html

これは都教委に対し行われた訴訟で最高最は合憲と下しているが

このサイトの記事にあるように

 「2011年3月10日判決の事件では、じつは、私は東京高裁に意見書を出し、また、証人として法廷で意見を述べた。私は、もちろん、国旗・国歌強制が憲法19条等に違反するという趣旨の意見を述べたのであるが、東京高裁の判決は、憲法判断の部分では、君が代ピアノ伴奏事件の最高裁判決(2007年2月27日)にならう形で、違憲の主張はすべて退けている。しかし、それでも、原告たちの不起立行為等が「真摯な動機」によるものであること、「日の丸」「君が代」について原告らと同様の歴史観・信条をもつ国民は少なからず存在すること、原告らには卒業式等を混乱させる意図はなく実際にも混乱したという事実は主張立証されていないこと、憲法学説や日弁連等の法律家団体においては起立斉唱等の強制は憲法19条等に違反するというのが通説的見解であること、などの点に照らせば、不起立行為等に対して懲戒処分を科すことは裁量権の逸脱濫用だ、としたのである。私としては、「ここまで言うのなら、いっそはっきり違憲だと言えよ!」と言いたいところだが、最高裁が「ピアノ判決」を見直して判例変更するという見込みはきわめて薄いというなかで、「ピアノ判決」が言及していない裁量統制論で勝負するというのは、高裁としてはぎりぎりの判断だったのだろうと思う。この判決があったからこそ、最高裁も「足して2で割る」ことができたのだと思う。そして、高裁での「ぎりぎりの判断」を引き出したのは、権力の不条理に屈してあきらめることなく"NO"を言いつづけた市民の力である。私の意見書や法廷での陳述も多少は役に立ったかもしれないと、密かに思っているが、それも、権力に"NO"をつきつける人々の声があってこその話である。」

「憲法学説や日弁連等の法律家団体においては起立斉唱等の強制は憲法19条等に違反するというのが通説的見解」です

ということは



国旗及び国歌に関する法律
(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO127.html


もそのまま法律として違憲で

違憲の法律に可とした議員に安倍晋三の名前がはっきりここに書かれている


http://ccce.web.fc2.com/imgk/s03.html

安倍晋三が可とするのに驚かないが

国旗及び国歌に関する法律の法案を提出した自民党の答弁に腹が立つ



「当時首相であった小渕恵三は、1999年6月29日の衆議院本会議において、日本共産党の志位和

夫の質問に対し以下の通り答弁した。

「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負

っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容

を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しよう

というものでないと考えております。」

「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制

化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運

用に変更が生ずることにはならないと考えております。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%97%97%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B


またもや嘘を!

企業が消費者からの抗議に対してとるような曖昧な返答を!

「丁寧」ではあるが慇懃無礼でしかない答弁を!

言っている

現に

最高裁は合憲とし

府教育委員会は懲戒処分をしている

ここまで国の最高法規を


第99条「憲法尊重擁護の義務」
 天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を
 尊重し、擁護する義務を負ふ。

である政治家に踏みにじられていいのか

あまつさえ

extreme right安倍晋三首相(国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を
 
尊重し、擁護する義務を負ふ。)は改憲に向かって着々と進行している

安倍晋三首相が主張する改憲も


第99条「憲法尊重擁護の義務」
 天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員は、この憲法を
 尊重し、擁護する義務を負ふ。

からみればそれは違憲である

以前から書いているが

安倍を退陣させないと

国体=軍部=天皇制の復活が行われる

大阪府教育委員会に国歌斉唱時に起立斉唱しなかった教師への懲戒処分を命じた

橋下は国体=軍部=天皇制の露払いのようなものだ

石原慎太郎も同じく露払いのようなもので

安倍晋三は三菱重工という国策防衛軍需産業による支持を得ている政治家であるから

安倍晋三は「軍部の台頭」であり

下村博文文科大臣はその精神的なイデオローグである

彼らは真っ先に退陣されなければならない



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2013年3月12日火曜日

梅本洋一氏、亡くなられる



2013年03月12日、あるツイートが流れる

 日本の映画批評家・梅本洋一氏の訃報である

梅本氏は日本にヴィム・ヴェンダースの紹介、普及、日本においてのcinéphileの拡大に尽力された

と思う


梅本氏が言うcinéphileとは映画=人生のようなものである

だから

映画に触れることによって

人生の契機が変わる、また人生が、自分が関わっている現実が

変化してしまうような

あり方を

cinéphileと定義しているのだろう

だから単なる映画ファンではないのである

梅本氏登場以前の日本の「映画」(製作者から批評家、ファンまで含む)

という環境にはcinéphileは存在していなかったのである

淀川長治氏は映画の正しい見方を教えてくれる方で

その業績は素晴らしいのだが

cinéphileというようなものではないのである

これは淀川氏を批判しているのではなく

淀川氏と梅本氏とは別の位相で映画に関わっていたのである

どちらが正しいということでもない

また梅本氏登場以前の日本の「映画」(製作者から批評家、ファンまで含む)

という環境のフランス映画の表象は

山田宏一、蓮實重彦氏が言っている「ヌーヴェルバーグ」が

日本における

フランス映画の表象だったのである

だからその頃

ユリイカでは

以下のような本まででている



紹介したユリイカ1989年12月臨時増刊 総特集ヌーヴェル・ヴァーグ30年には

梅本氏も執筆しているのであるが

それはともかく

だとしても

梅本氏が日本の「映画」(製作者から批評家、ファンまで含む)

という環境のフランス映画の表象を積極的に「現在進行形」に変えようとしたことは

梅本氏の業績でしょう

だが山田宏一、蓮實重彦氏が言っている「ヌーヴェルバーグ」は悪いわけではない

簡単に言えば

フランス映画=「ヌーヴェルバーグ」という表象は「日本内部」だけで流通していて

それは現在のフランス映画に影響は与えているが

だからといってゴダールやリヴェットが成長するように(トリュフォーは亡くなっている)

フランス映画も変化していて

「ヌーヴェルバーグ」に留まっているわけではない

そのことが「ロード・ムーヴィー」とも言える


「ヌーヴェルバーグ」という映画の運動は認めるが

いつまでもそれにとらわれてはいてはならない

というのを彼の批評から感じたのである

必然的に

梅本氏は

フランス映画の「現在進行形」を日本に普及しようと

以下の雑誌を編集代表として刊行する




梅本氏の言うcinéphileに戻ろう

端的に言えば以下のようなことである

彼の映画=日誌には

都会のアリスに触れた文章があり

こんな映画です


彼の映画=日誌で都会のアリスをとりあげたものがあって

「その中でジョンフォードが死んだ」とリュディガー・フォーグラーが電車に乗っていてつぶやくのを梅

本氏は映画に現実が混入し、人生が…と書いていたと思う

映画も現実の混入で変わる

映画は仮構物なのであるが

仮構物のままあってはならない

というのを彼の文章から感じました



映画=人生(ゴダール)なのである

梅本氏はゴダールより遅く生まれ、早く亡くなった

ここに人生の過酷さが現れているのだろうか

今は冥福をお祈るするばかりである

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