2013年3月12日火曜日

梅本洋一氏、亡くなられる



2013年03月12日、あるツイートが流れる

 日本の映画批評家・梅本洋一氏の訃報である

梅本氏は日本にヴィム・ヴェンダースの紹介、普及、日本においてのcinéphileの拡大に尽力された

と思う


梅本氏が言うcinéphileとは映画=人生のようなものである

だから

映画に触れることによって

人生の契機が変わる、また人生が、自分が関わっている現実が

変化してしまうような

あり方を

cinéphileと定義しているのだろう

だから単なる映画ファンではないのである

梅本氏登場以前の日本の「映画」(製作者から批評家、ファンまで含む)

という環境にはcinéphileは存在していなかったのである

淀川長治氏は映画の正しい見方を教えてくれる方で

その業績は素晴らしいのだが

cinéphileというようなものではないのである

これは淀川氏を批判しているのではなく

淀川氏と梅本氏とは別の位相で映画に関わっていたのである

どちらが正しいということでもない

また梅本氏登場以前の日本の「映画」(製作者から批評家、ファンまで含む)

という環境のフランス映画の表象は

山田宏一、蓮實重彦氏が言っている「ヌーヴェルバーグ」が

日本における

フランス映画の表象だったのである

だからその頃

ユリイカでは

以下のような本まででている



紹介したユリイカ1989年12月臨時増刊 総特集ヌーヴェル・ヴァーグ30年には

梅本氏も執筆しているのであるが

それはともかく

だとしても

梅本氏が日本の「映画」(製作者から批評家、ファンまで含む)

という環境のフランス映画の表象を積極的に「現在進行形」に変えようとしたことは

梅本氏の業績でしょう

だが山田宏一、蓮實重彦氏が言っている「ヌーヴェルバーグ」は悪いわけではない

簡単に言えば

フランス映画=「ヌーヴェルバーグ」という表象は「日本内部」だけで流通していて

それは現在のフランス映画に影響は与えているが

だからといってゴダールやリヴェットが成長するように(トリュフォーは亡くなっている)

フランス映画も変化していて

「ヌーヴェルバーグ」に留まっているわけではない

そのことが「ロード・ムーヴィー」とも言える


「ヌーヴェルバーグ」という映画の運動は認めるが

いつまでもそれにとらわれてはいてはならない

というのを彼の批評から感じたのである

必然的に

梅本氏は

フランス映画の「現在進行形」を日本に普及しようと

以下の雑誌を編集代表として刊行する




梅本氏の言うcinéphileに戻ろう

端的に言えば以下のようなことである

彼の映画=日誌には

都会のアリスに触れた文章があり

こんな映画です


彼の映画=日誌で都会のアリスをとりあげたものがあって

「その中でジョンフォードが死んだ」とリュディガー・フォーグラーが電車に乗っていてつぶやくのを梅

本氏は映画に現実が混入し、人生が…と書いていたと思う

映画も現実の混入で変わる

映画は仮構物なのであるが

仮構物のままあってはならない

というのを彼の文章から感じました



映画=人生(ゴダール)なのである

梅本氏はゴダールより遅く生まれ、早く亡くなった

ここに人生の過酷さが現れているのだろうか

今は冥福をお祈るするばかりである

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