2013年3月19日火曜日

自分こそが愛国だと胸を張る小林よしのりのいかがわしさ

小林よしのりのような

あからさまな歴史修正主義者が

ネット右翼を差別しろ

とか言い出している

小林よしのりの歴史修正主義にネット右翼は同調したのだと

僕は理解している。

小林よしのりが自分が真の愛国者だと威張っているサイトが以下である

https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=joigvj4g8-736#_736


転載する

「理路整然と意見を話すのが愛国者
 出所不明な怪文書を貼るのがネトウヨ

有識で周りの評価が高いのが愛国者
 無職でプライドだけ高いのがネトウヨ

日本人である事を誇りに思うのが愛国者
 日本人である事だけが誇りなのがネトウヨ

討論で相手の愛国度をはかるのが愛国者
 討論で相手を売国奴扱いするのがネトウヨ

君が代をきちんと歌えるのが愛国者
 気味が悪いほどネットで吠えるのがネトウヨ

家族思いなのが愛国者
 家族の重荷になっているのがネトウヨ

社会に出て一人前なのが愛国者
 2ちゃんねるでだけ一人前なのがネトウヨ

日本の歴史と政治に学が深いのが愛国者
 2ちゃんの書き込みとレスが不快なのがネトウヨ

日本人が逮捕されると残念だと嘆くのが愛国者
 日本人が逮捕されると通名だとわめくのがネトウヨ

日本の事を敬虔(けいけん)に思っているのが愛国者
 自分の事を聖戦士だと思っているのがネトウヨ」

転載して読んでみたが

ネット右翼の定義に多くの人は納得して

溜飲をさげてはいけない

というのは

ここで定義された愛国者のほうが問題である

上から検証していく

「理路整然と意見を話すのが愛国者」
理路整然と話すのは愛国者でなくても話せる(笑)むしろ愛国心という「宗教」に縛られていないから愛国者でないほうがより理路整然と話せる

「有識で周りの評価が高いのが愛国者
これも愛国心とはまったく関係ない

「日本人である事を誇りに思うのが愛国者」
これはそうかもしれないが、だったら韓国人が韓国に抱く愛国は何?だよ

「討論で相手の愛国度をはかるのが愛国者」
討論で愛国度をはかり愛国度が低ければ、非国民とでも言うのか?

「君が代をきちんと歌えるのが愛国者」
暫定的に君が代が国歌になっているだけでしょうに。

「家族思いなのが愛国者」
これも愛国とはまったく関係ない

「社会に出て一人前なのが愛国者」
愛国者の安倍は一人前か?

「日本の歴史と政治に学が深いのが愛国者」
安倍首相が従軍慰安婦問題で「(日本軍による)強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」という安倍は日本の歴史を捻じ曲げている

「日本人が逮捕されると残念だと嘆くのが愛国者」
日本人以外が逮捕されても残念と思うのが人情

「日本の事を敬虔(けいけん)に思っているのが愛国者」
敬虔の中身は?

続けて

小林よしのりは

ネトウヨを差別しましょう!!

と言っている

つまり

これはネット右翼より自分たちこそが真の愛国者だと胸をはるエリート意識以外何者でもない

真の愛国をもてば

真の日本国民になる

というキャッチコピーは安倍晋三と何ら変わりない

ということは小林よしのりの定義に沿わない愛国者は

ネット右翼と言われるのだ

それは非国民と似たようなものだ

そして、小林よしのりは

安倍晋三とも自分は違うと言っている

どう違うのか、「愛国業界」にいない僕にはわからない

ここで内田樹氏の愛国についての論を紹介する

彼の論が上記に示した「愛国業界」の欺瞞をわかりやすく説明している

愛国について語るのはもうやめませんか
http://blog.tatsuru.com/2007/06/20_1056.php


内田樹氏の論によれば

「人は「愛国心」という言葉を口にした瞬間に、自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。」

まったく小林よしのりがネット右翼に行なった断罪がそうである
続けて
「私はそのことの危険性についてなぜ人々がこれほど無警戒なのか、そのことを怪しみ、恐れるのである。」

この場合、ネット右翼より

自分が真の愛国者だと胸を張る

小林よしのりは「自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。」になっているのである

愛国を端的に説明する

浦部法穂氏の「憲法学教室」によると

「「国家」の実体は「権力」である

「国家」すなわち「権力」は私たちのイメージする国に乗っかってしまう

ことによってあたかも「私たちのもの」であるかのように、存在を主張することになる。

「国を愛する心」とか「国を守る必要」とかの言葉が、私たちに、ある種反論を許さない響きをもって

受けとめられるのは、私たちが、想像の中の存在として「国」をイメージして、これらの言葉をうけ

とめるからである。

しかし、それは「国」の実体ではない。そこでいわれる「国」の実体はほかならぬ「権力」そのもので

ある。

そうであれば、「国を愛する心」とか「国を守る必要」というのはじつは、「権力を愛する心」、

「権力守る必要」というのは、じつは、「権力を愛する心」、「権力を守る必要」と同義となり

私たちには無縁の言葉であることが一目瞭然となろう。」

我々に必要なのは「愛国」ではない

では何が必要とされてくるのか

「人権」である








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