2013年3月29日金曜日

戦後の昭和天皇は「国体」の平和利用だった

戦後の昭和天皇は「国体」の平和利用だった

それを示す

重要なブログを見つけた

http://pub.ne.jp/bbgmgt/?monthly_id=201303


様々な資料をあげて

戦後の昭和天皇の外遊も政治活動ではないのかと分析している

重要なのは

日本国憲法の「自分の立場:立憲君主」にかかっている制約について思いしらされたさい、

「これでは張りぼてにでもならねばならない」と慨嘆したことがあった、という昭和天皇の

発言である

このことは紹介しているブログでも書かれているように

「昭和天皇の戦後意識は「帝国憲法下の統治権総覧者」に停止しており,占領軍に与えられた「新憲法の象徴天皇」をけっして受容していなかったことである。」なのである





ということは
昭和天皇の戦後の表象は何?ということである

戦後の昭和天皇の表象は
おおむね

あ、そう



植物学者である

だが、昭和天皇は

戦時中

「戦争初期のころは、文字通り世界中で日本軍が戦果をあげていた状況で、昭和天皇は各地の戦況を淡々と質問していた。この点で昭和天皇の記憶力は凄まじいものがあったと思われ、実際に幾つか指示等もしている。有名なものとして日本軍が大敗したミッドウェー海戦では敵の待ち伏せ攻撃を予測し過去の例を出し敵の待ち伏せ攻撃に注意するよう指示したが前線に指示は届かず結果待ち伏せ攻撃を受け大敗を喫した例がある。」(ウイキペディア)

戦争指導もしているのである
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87

このことからもわかるように

昭和天皇にも戦争責任はあるのである

そもそも大日本帝国憲法では


第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル

第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第13条 天皇ハ戦イヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

第14条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以之ヲ定ムム

なのである

だから昭和天皇に戦争責任がないとは言えないのであある

もし

昭和天皇に戦争責任がないと言えば

上記の大日本帝国憲法の定義の天皇は

嘘になり

その条文で国民を縛った国体護持者は二重に嘘をついているのである


その嘘が戦後の天皇のイメージ作りである


ポツダム宣言には天皇や皇室に関する記述が無く、非常に微妙な立場に追い込まれた。そのため、政府や宮内省などは、天皇の大元帥としての面を打ち消し、軍国主義のイメージから脱却すると共に、巡幸と言う形で天皇と国民が触れ合う機会を作り、天皇擁護の世論を盛り上げようと苦慮した。具体的に、第1回国会の開会式、伊勢神宮への終戦報告の親拝時には、海軍の軍衣から階級章を除いたような「天皇御服」と呼ばれる服装を着用した。
さらに、連合国による占領下では、礼服としてモーニング、平服としては背広を着用してソフト路線を強く打ち出した。また、いわゆる「人間宣言」でGHQの天皇制擁護派に近づくと共に、一人称として朕を用いるのが伝統であったのを私を用いたり、巡幸時には一般の国民と積極的に言葉を交わすなど、日本の歴史上最も天皇と庶民が触れ合う期間を創出した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87

なぜ、昭和天皇が戦争責任からまぬがれたかというと

戦後、日本に占領したアメリカGHQのマッカーサーの天皇の利用である

マッカーサーは対ソ防波堤のために

天皇を利用した


1天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。

2国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。


3日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。

マッカーサー草案である

その草案が象徴になったのは

日本の鈴木安蔵らの憲法研究会の草案により天皇は象徴になったのである

つまり戦後の昭和天皇の外遊などの「平和」に見える活動は

アメリカGHQと日本の国体護持権力者の合作である

そのことは昭和天皇も熟知していた

だから「日本国憲法の「自分の立場:立憲君主」にかかっている制約について思いしらされたさい、

「これでは張りぼてにでもならねばならない」と慨嘆したことがあった」なのである

つまり自覚的に過去の戦争責任を免罪し

国体を「平和利用」し、アメリカGHQは対ソ防波堤という軍事的理由

日本の国体護持者は軍事的復活を望み

その前に

日本の経済成長という目的があり

日米安保条約も調印するのである

吉田茂は経済に特化できる、と言っていたのである

戦前の大元帥である

昭和天皇の戦争責任の追及がされなくなり

昭和天皇は長らえてしまい

罪を問われることなく死んでしまったのである

戦後の昭和天皇は「国体」の平和利用というイメージのもと

着々と軍事復活がされてきて

今や改憲→国防軍という安倍晋三の主張に弾みをつけている

日本にこれ以上軍事復活を許さないようにするには

昭和天皇の戦争責任を国民が持つことである

戦後の人間宣言の昭和天皇のイメージにいつまでも

騙されていてはいけない

追記

昭和天皇裕仁は1947年9月宮内庁御用掛を通じシーボルト連合国最高司令官政治顧問に沖縄の

長期占領を希望する旨の「天皇メッセージ」を送っている






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